看護師が適応障害と心身症で苦しみながら模索していく話。

看護師になって約8年。中堅と呼ばれる域に達してきて、期待や環境の変化、精神的ストレスなどで擦り切れて、適応障害や心身症になってようやく自分と向き合いながらみっともなく足掻きながら生きていくお話です。

黒歴史だから、言いたくなんかないんだけど。【閲覧注意】

ACの中で スケープゴートは、

家庭内の問題を行動化するタイプと言われています。

自虐的で、自罰も起こす。

 

自傷行為は感染します。

どうか、見ないでいただきたい。

でも、私を語るには必要な要素で

必要な罰です。

これは自罰の罪だと思う。

 

これを書くのはとても勇気が必要で、私はこの傷をまだ持っている。

この思考のおかげで今まで生きてこれたんだと思うけど、

この思考があったから、自罰的になってしまった。というか、罰そのものなんだと思う。

これも、適応障害心身症の原因の一つ、間違いなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

剃刀とカッターナイフ。

お守りのように、学生時代は持っていました。

それは、いつでも現実逃避出来るように、いつでも自罰できるように

見えてしまっては困る。

見えない場所に、傷をつける。

剃刀はいけない。軽い力で簡単に切れるけど、痛みが少ない。しかも浅い。傷の治りも早い。

それじゃあいけない。

私は私に罰を与えなければならない。

カッターナイフは良い。

ある程度無理に力を込めて、やっと深く醜い傷が残る。

横に引いて、足りなくて縦に引いた。

それでも足りなくて足りなくて

血を見ると安心する、ではなかった。

私は痛みで罰を与え、罰を与えられてやっと生きる証を得たような気に成れた。

やっと生きるための免罪符を得た気になっていた。

本当はそんなものがないことは知っていたんだと思う。

でも、その時の私には必要だった。そうじゃなかったら、最悪を選択していた。

それは最大の罰

たくさんの人を巻き込んでしまうから、選択できなかった、大きな罰。

 

 

 

 

 

それは間違いなく自死だ。

その影は大人になっても付きまとってくる。

看護師は生と死のはざまをたゆたう、命を見送ったり、迎え入れたり

そういう仕事だと思う。

良くなって日常に戻っていける人は、一体どれだけいるんだろう。

死の色が濃い職場。日に日に慣れていく、死。

感覚がマヒしていくのが、よくわかる。

ああ、飛び込んでしまおうか。なけなしの理性でやっと持っている。

 

こうやって適応障害とか、メンタルに欠陥があって

不安定になると、いつも考えてしまう。

早く罰を与えなければ。

幸せになってなどいいわけがない。

良い想いなんてしてはいけない。

私は罰を受けなければ。

 

 

スケープゴートは、こうなるかもしれない。

実際に両親がそろっていても、欠陥があれば同じような環境になるんだろう。

私は、私たちは、許されたい、許されたくなんかない。

幸せになったら? 幸せになった後は?

私に待つのはなんなの?

そんなもの長く続かない。私にそんな大きな幸せなんか、

もったいない。私なんかに、私なんかに。

早く死んでしまえ、幸せになんかなる前に。

早く、一日も早く。