ストレスの前兆、私の場合は過食。
私のストレスの発散法として、最近気が付いたことがある。
どうも胸やけ、吐き気、嘔吐の症状が出てくる前の数か月前に、
過食しているようだ。
それに気が付いたのは、今回の適応障害再発してから。
そういえば、異動が決まった6月に入ってから、やたら食ってたなあ。
食欲とかそういう概念はなくて、とにかく何かを喰っていた気がする。
そんな自分の行動に心底驚いた。
もともと普段はそんなに食事量が多い方ではない。
どちらかと言えば小食で、セーブしていることが多い。
それは食べれば食べられるが、あんまり食べると太るしなあ、後悔するし、
なんて考えているからだ。
それがストレスがあると、これは一般的にかもしれないが、
「嫌なことは食って、飲んで忘れよう!」って言うじゃないですか?
それが根底にあって、頑張って維持しようとしていたんだと思う。
結果的には逆効果で、どちらかというと慣れてきたころに、適応障害を再発することになるんだけど。
仕事終わりの糖分は、魔物だと思う。
癖になって、辞められない。
6月くらいから始まった過食は、8月に入って胸やけや吐き気に変化する。
だから過食は嫌でも止まった。
消化管が休憩を始める。
25歳の時は、そのまま内科を回って、いろいろな検査を行った。
脳か? 消化管か?
身体の機能的な検査を行うが、どれも異常なし。
というか、脳の血管なんて、教科書に載せてもいいレベルで超綺麗だった。ここに載せたいくらいだ。
そんな写真撮ってないけど。
残念ながら、それはつまり、心因性という事の証明になった。
心因性。私の心が擦り切れてしまったという事。
ガス欠で頑張って気合で走れるだろこんなもん、と
エンジンをかけようとばりばり音を出しているに過ぎないわけだ。
進むか、そんなもん。
あの時、25のあの時、そのまま進んでしまわないでよかった。
その先にあるのは間違いなく破滅だ。
今でさえわかるが、当時の私はそんなことにも気が付かなかった。
何なら自己憐憫、自己犠牲。
「このまま看護師を続けるか、それとも死んでしまうか。」
「人を看護するための看護師が自殺か。滑稽だな。病院は困るかな。困っちまえ。
どうせ、私が自死したところで、傷む胸なんて持っていないくせに。」
「心配する声だけ私にくれても、そこに心がないことくらい私にはわかる。わからないとでも思っているのか。」
普段は温厚なはずの私の中には、醜い心の毒があふれていた。
そうさせたのは、看護の世界ではないか。
私は誰にも食わせない。
私は私のものだ。
誰にも、わけてなんてあげない。