看護師が適応障害と心身症で苦しみながら模索していく話。

看護師になって約8年。中堅と呼ばれる域に達してきて、期待や環境の変化、精神的ストレスなどで擦り切れて、適応障害や心身症になってようやく自分と向き合いながらみっともなく足掻きながら生きていくお話です。

ストレスの前兆、私の場合は過食。

私のストレスの発散法として、最近気が付いたことがある。

どうも胸やけ、吐き気、嘔吐の症状が出てくる前の数か月前に、

過食しているようだ。

 

それに気が付いたのは、今回の適応障害再発してから。

そういえば、異動が決まった6月に入ってから、やたら食ってたなあ。

食欲とかそういう概念はなくて、とにかく何かを喰っていた気がする。

 

そんな自分の行動に心底驚いた。

もともと普段はそんなに食事量が多い方ではない。

どちらかと言えば小食で、セーブしていることが多い。

それは食べれば食べられるが、あんまり食べると太るしなあ、後悔するし、

なんて考えているからだ。

 

それがストレスがあると、これは一般的にかもしれないが、

「嫌なことは食って、飲んで忘れよう!」って言うじゃないですか?

それが根底にあって、頑張って維持しようとしていたんだと思う。

 

結果的には逆効果で、どちらかというと慣れてきたころに、適応障害を再発することになるんだけど。

 

仕事終わりの糖分は、魔物だと思う。

癖になって、辞められない。

 

6月くらいから始まった過食は、8月に入って胸やけや吐き気に変化する。

だから過食は嫌でも止まった。

消化管が休憩を始める。

 

25歳の時は、そのまま内科を回って、いろいろな検査を行った。

脳か? 消化管か?

身体の機能的な検査を行うが、どれも異常なし。

というか、脳の血管なんて、教科書に載せてもいいレベルで超綺麗だった。ここに載せたいくらいだ。

そんな写真撮ってないけど。

 

残念ながら、それはつまり、心因性という事の証明になった。

 

心因性。私の心が擦り切れてしまったという事。

ガス欠で頑張って気合で走れるだろこんなもん、と

エンジンをかけようとばりばり音を出しているに過ぎないわけだ。

進むか、そんなもん。

 

 

あの時、25のあの時、そのまま進んでしまわないでよかった。

その先にあるのは間違いなく破滅だ。

今でさえわかるが、当時の私はそんなことにも気が付かなかった。

何なら自己憐憫、自己犠牲。

「このまま看護師を続けるか、それとも死んでしまうか。」

「人を看護するための看護師が自殺か。滑稽だな。病院は困るかな。困っちまえ。

どうせ、私が自死したところで、傷む胸なんて持っていないくせに。」

「心配する声だけ私にくれても、そこに心がないことくらい私にはわかる。わからないとでも思っているのか。」

普段は温厚なはずの私の中には、醜い心の毒があふれていた。

そうさせたのは、看護の世界ではないか。

 

私は誰にも食わせない。

私は私のものだ。

誰にも、わけてなんてあげない。