看護師が適応障害と心身症で苦しみながら模索していく話。

看護師になって約8年。中堅と呼ばれる域に達してきて、期待や環境の変化、精神的ストレスなどで擦り切れて、適応障害や心身症になってようやく自分と向き合いながらみっともなく足掻きながら生きていくお話です。

突発性難聴だったはずなんだけど

21歳の時に突発性難聴になってしまいました。

それは、なんとなく、夜勤明けでPCつけて

ソファーでごろっとしていた時の事。

当時、ニコ厨だったので、歌ってみたでも聞いていたのでしょう。

その時私はヘッドフォンをしていました。それで早めに気が付いたのかもしれません。

 

なんとなく、音が遠い。

そんな気がする。

 

動画を一時停止。全身の力を抜いてみる。

関節の軋みや呼吸の音だけに集中してみることにした。

 

右側から耳鳴りがする。はじめは耳が詰まったのかと思った。耳閉感。

ちょうど耳に水が入ってしまったような。あの感じ。

なんとなく、底の方でぼやっとしたノイズが混じる。

水の底にいるみたいだ。

 

そう感じて、ちょっとだけ気持ちが良かった。

なんとなく、ふわふわとしていて、浮遊感が心地よかった。

 

 

とはいえ、数分後には違和感を感じる。

鳴りやまない。止まらない耳閉感。

 

次の日も変わらない。夜勤明けの次の日はお休みっていう公立系のシフトの規則が、このときはとってもありがたかった。

そこで、「突発性難聴

もしくは「蝸牛性メニエール」「低音障害型感音性難聴」と診断される。

 

なんじゃそりゃ。

いやはや、困った。

んで親に相談し、市立病院を受診し、

まだ看護師1年目でストレスもあるんだろう。パルス療法を行いたいが、そっちも気になるから、一週間入院してみる?

という事になった。

 

入院してパルス療法。毎日点滴。

すごく暇だった。

 

ずっと病室で絵をかきながら過ごしていた。

いつまでもいつまでも鳴り響く、私のカタツムリは

きっとそのころから私に注意を向けさせようと必死だったに違いない。

 

でも、必死こいてなんとか獲得できた看護師国家資格。

私はしがみつく以外の選択肢を、その時持っていなかった。

仕事も覚えだし、夜勤も始まったばっかり。

そんな中で、その時点で辞める気なんか更々なかった。

 

 

それが症状固定につながった要因なんだと思う。

 

 

突発性難聴が疑われる場合、最長3日で勝負は決まる、と言われています。

ステロイドなどの治療を適切に受けても、

1/3が完治、1/3が後遺症を残し、1/3が症状の進行・悪化。

そういわれています。

私の場合は、3日以内に受診し適切な治療を受けたけど、

1/3として症状が固定し後遺症になり、

残念なことに、メニエールに進行してしまった例。

突発性難聴 - Wikipedia

メニエール病 - Wikipedia

 

とても稀なようだが、両側に発症したり、

聴覚のほとんどを失ってしまうことがある、困った病気である。

 

 

個人的には幸運だったんだと思う。

日常生活にはほぼ支障はない。

ただ、騒音が大きい場所。

看護師でよくあるのは申し送り時。

騒音や雑音で聞き取りたい音にノイズがかかり、必要な音が言葉に聞こえないことがよくある。

(音自体は聞こえることが多い)

口元が見えていれば音の抑揚や語調で、読唇も含めて補完することができるんだが、それが出来ないと非常に辛い。

マスクとか、口元見えないしね。

 

看護師には、ちょっと困った持病だ。たまに発作で立ち上がるのも苦労する。

もう、7年くらいの付き合いになるけど、なんていうか

困った体質だよねえって、割り切るしかないかね。

 

 

 

 

もしなっちゃっても、死ぬような病気じゃないなんて言われるけど、

慣れるまで、非常に辛い。

簡単なことを言ってくれるのは、大体無責任な人。

でもほら、幸い難聴ついてくるから、メニエール。

そんなのも一緒に聞こえないふりしてしまっても、良いんじゃない?なんて、これは毒かな?