看護師が適応障害と心身症で苦しみながら模索していく話。

看護師になって約8年。中堅と呼ばれる域に達してきて、期待や環境の変化、精神的ストレスなどで擦り切れて、適応障害や心身症になってようやく自分と向き合いながらみっともなく足掻きながら生きていくお話です。

年表を書いてみたけれど、こんなもの意味を持つのだろうか。

どうなんでしょう。書いてみたはいいものの、非常に醜い出来になってしまった。

 

自己憐憫に浸っているかと言われれば、否定はできない。

でも、このブログの主旨としては、

適応障害

心身症

円形脱毛

自律神経失調症

看護師だけど疲れたの

白衣の天使なんていないわよ

看護師なんてこんなもん

 

っていう有象無象に困っちゃった方に、前例として少しでも役に立っていければいいなあっていう、願望? で作ろうと思いました。

 

看護師が求められるのは、比較的完璧な人間像。ナイチンゲール誓詞がその最たる例です。

それは私たちを縛る鎖です。願望ですし理想ですが、そうでないと務まらないわけではありません。

あなたにも、私にもお前は役立たずだと烙印を捺せる人間が看護師の中にどれだけいますか。

そんな烙印、捺させてなるものですか。

 

患者様でさえ、私はその評価をするのも違うんじゃないかと思います。

 

看護師であるからえらい、と言っているわけではありません。

人が避けたい事柄を、生業にしているのですから、その精神が素晴らしんじゃないのかって言いたいのです。

 

人の最期の看取り、排泄の介助、清潔の介助、薬剤や処置・検査の介助や実施。

数えたらきりがない。

 

学校のトイレ掃除みたいなものなのかもしれません。

誰も好き好んでやりたがらなかった記憶があります。

看護師も同じなのではないか。

 

その精神を、ストレスや環境、ハラスメントで、自死や過労死などで失うのは、国としての恥なのではないかとさえ思います。

 

マスコミもスキャンダル、好きだよね。それが病院だったら、きっととってもおいしいんじゃないの。

そうやって誰かを殺すこともあるって、わかっていますか?

そんなことよりも大事に守ることも出来ないのかな、今の日本のマスメディアは。

 

 

 

他人の不幸は蜜の味?

だったらここには、甘い蜜がたくさんあるよ。私を喰って、ようやくそれが毒だと知るがいい。

それは体をめぐり、あなたの心に巣食う。

私の、たくさんの同士の、名も知らぬどこかの誰かの、痛みとなって、あなたの心に巣食う。