看護師が適応障害と心身症で苦しみながら模索していく話。

看護師になって約8年。中堅と呼ばれる域に達してきて、期待や環境の変化、精神的ストレスなどで擦り切れて、適応障害や心身症になってようやく自分と向き合いながらみっともなく足掻きながら生きていくお話です。

吐き気、胸やけ。もどかしいむずむずして、いらいらして、私が私じゃない感じ。それがとんでもなく苦痛。

心身症とは、人によって症状が違うらしい。

中には私と似たような症状の方もいらっしゃるだろう。

全く違う症状の方も、当然。こっちの方が多いかもしれない。

 

Wikiから引っ張って来よう。

心身症 - Wikipedia

 

心身症とは、1991年の日本心身医学会による定義によれば、「身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的な因子が密接に関与。器質的ないし機能的障害がみとめられる病態をいう。神経症うつ病など他の精神障害にともなう身体症状は除外する」である 

  1. ^ 表1 いわゆる心身症の定義」『心身医学』第31巻第7号、1991年10月1日、574頁。

 

つまり、身体的症状があり(事実)、

発症や経過に心理社会的な事柄がすっごく関係していて

ちょっと困った症状が出てきてしまう。

みたいな解釈で、いいのかな?

ただ診断が難しいのは、後述するが、心身症とそれらの症状はイコールではない。決してない。同じ疾患でも、原因が異なり、違うものになる。

○○という病気だから、私ももれなく心身症よ! とはならないのである。当然。

 

 

 

主な心身症[編集]

下記の様な疾患は、心身症としての要素を持っていることがある(注意:これらの疾患に罹患している患者全てが心身症であるわけではない。)

心身症としての病名を記載する際は、例えば胃潰瘍心身症)、高血圧(心身症)などのように、病名の後ろに(心身症)を加えて表記する。

 

 

心身症の場合の多くは、対症療法だ。

加えて、ストレッサーが解除されれば、治癒に向かう。

 

つまり、心身症の原因が

私のように「自身が勤務している病院」だとするならば

休職しても症状が根治するわけではない。

多少症状が軽減するかもしれないが、それでも根強く残っている。

 

例えば「所属している病棟のお局ナースから陰湿ないじめを受けていて、心身症を発症した。病棟も自分に合っているし、スタッフとの仲も円満だと思う。」

なんていう場合には、きっとお局ナースが異動してしまい、所属病棟からいなくなってくれれば心身症は改善するのではないだろうか。

 

心身症の理解はまだまだ難しいと思う。

うつ病でさえやっと認知が広まってきて、それでも甘え、やる気の問題、なんて

時代錯誤にもほどがある発言を繰り返す輩がまだまだ存在する。

心身症も、身体の外に症状が漏れていなければ、見た感じは普通の健常者と同じだ。

どこに傷があるのかなんて見てわかるものでもない。

患者自身にだってわからないのだから。そんなもの他人が認知出来るものではないんだけども。

 

 

例えば、

「うどん屋できちんと料金を支払い、

通常と同じくらいの滞在時間である客は帰っていったが、

注文したうどんは1/3程度しか減っていない。

どんぶりに遺った2/3のうどんを見て、店員のあなたはひどく悲しみ、もしくは憤り、

先輩に嘆き、それでも収まらずSNSに写真付きで暴露。」

なんてことがあったとしましょう。

(うどん一玉喰えなかったのは私ですが、そんな事件にはなりませんでした。ありがとううどん屋さん。)

(後半は完全に脚色ですし、私が恐れながらうどん食べながら考えたことでもあります。)

そのときあなたが店員だったとします。

 一生懸命作ったうどん。

何で食べもせずに残すのに注文したの、

食べられるかどうかなんて前もってわかるじゃない。

大体うどんの一玉なんて増減するものでもないし、わかるでしょ?

 

まあ、そうなんですけどね。

 

 

でも、外見で心身症かどうかなんてわからないんです。

心身症心因性嘔吐してるなんて、見ただけじゃわからないんですもん。

私にとって、うどん1/3玉喰えたのは快挙でした。うれしかった。

そんなこと、お店の人には届きませんけど。

 

もし、飲食店で勤務なさっている方がおられましたら、残しちゃう客の中には

やむを得ず残してしまう客がいることも忘れないでいただけると嬉しいです。

 

遊んで残すのは許せませんけど、心因性嘔吐や摂食障害にとっては、

死活問題なんですよ。

ストレスの前兆、私の場合は過食。

私のストレスの発散法として、最近気が付いたことがある。

どうも胸やけ、吐き気、嘔吐の症状が出てくる前の数か月前に、

過食しているようだ。

 

それに気が付いたのは、今回の適応障害再発してから。

そういえば、異動が決まった6月に入ってから、やたら食ってたなあ。

食欲とかそういう概念はなくて、とにかく何かを喰っていた気がする。

 

そんな自分の行動に心底驚いた。

もともと普段はそんなに食事量が多い方ではない。

どちらかと言えば小食で、セーブしていることが多い。

それは食べれば食べられるが、あんまり食べると太るしなあ、後悔するし、

なんて考えているからだ。

 

それがストレスがあると、これは一般的にかもしれないが、

「嫌なことは食って、飲んで忘れよう!」って言うじゃないですか?

それが根底にあって、頑張って維持しようとしていたんだと思う。

 

結果的には逆効果で、どちらかというと慣れてきたころに、適応障害を再発することになるんだけど。

 

仕事終わりの糖分は、魔物だと思う。

癖になって、辞められない。

 

6月くらいから始まった過食は、8月に入って胸やけや吐き気に変化する。

だから過食は嫌でも止まった。

消化管が休憩を始める。

 

25歳の時は、そのまま内科を回って、いろいろな検査を行った。

脳か? 消化管か?

身体の機能的な検査を行うが、どれも異常なし。

というか、脳の血管なんて、教科書に載せてもいいレベルで超綺麗だった。ここに載せたいくらいだ。

そんな写真撮ってないけど。

 

残念ながら、それはつまり、心因性という事の証明になった。

 

心因性。私の心が擦り切れてしまったという事。

ガス欠で頑張って気合で走れるだろこんなもん、と

エンジンをかけようとばりばり音を出しているに過ぎないわけだ。

進むか、そんなもん。

 

 

あの時、25のあの時、そのまま進んでしまわないでよかった。

その先にあるのは間違いなく破滅だ。

今でさえわかるが、当時の私はそんなことにも気が付かなかった。

何なら自己憐憫、自己犠牲。

「このまま看護師を続けるか、それとも死んでしまうか。」

「人を看護するための看護師が自殺か。滑稽だな。病院は困るかな。困っちまえ。

どうせ、私が自死したところで、傷む胸なんて持っていないくせに。」

「心配する声だけ私にくれても、そこに心がないことくらい私にはわかる。わからないとでも思っているのか。」

普段は温厚なはずの私の中には、醜い心の毒があふれていた。

そうさせたのは、看護の世界ではないか。

 

私は誰にも食わせない。

私は私のものだ。

誰にも、わけてなんてあげない。

突発性難聴だったはずなんだけど

21歳の時に突発性難聴になってしまいました。

それは、なんとなく、夜勤明けでPCつけて

ソファーでごろっとしていた時の事。

当時、ニコ厨だったので、歌ってみたでも聞いていたのでしょう。

その時私はヘッドフォンをしていました。それで早めに気が付いたのかもしれません。

 

なんとなく、音が遠い。

そんな気がする。

 

動画を一時停止。全身の力を抜いてみる。

関節の軋みや呼吸の音だけに集中してみることにした。

 

右側から耳鳴りがする。はじめは耳が詰まったのかと思った。耳閉感。

ちょうど耳に水が入ってしまったような。あの感じ。

なんとなく、底の方でぼやっとしたノイズが混じる。

水の底にいるみたいだ。

 

そう感じて、ちょっとだけ気持ちが良かった。

なんとなく、ふわふわとしていて、浮遊感が心地よかった。

 

 

とはいえ、数分後には違和感を感じる。

鳴りやまない。止まらない耳閉感。

 

次の日も変わらない。夜勤明けの次の日はお休みっていう公立系のシフトの規則が、このときはとってもありがたかった。

そこで、「突発性難聴

もしくは「蝸牛性メニエール」「低音障害型感音性難聴」と診断される。

 

なんじゃそりゃ。

いやはや、困った。

んで親に相談し、市立病院を受診し、

まだ看護師1年目でストレスもあるんだろう。パルス療法を行いたいが、そっちも気になるから、一週間入院してみる?

という事になった。

 

入院してパルス療法。毎日点滴。

すごく暇だった。

 

ずっと病室で絵をかきながら過ごしていた。

いつまでもいつまでも鳴り響く、私のカタツムリは

きっとそのころから私に注意を向けさせようと必死だったに違いない。

 

でも、必死こいてなんとか獲得できた看護師国家資格。

私はしがみつく以外の選択肢を、その時持っていなかった。

仕事も覚えだし、夜勤も始まったばっかり。

そんな中で、その時点で辞める気なんか更々なかった。

 

 

それが症状固定につながった要因なんだと思う。

 

 

突発性難聴が疑われる場合、最長3日で勝負は決まる、と言われています。

ステロイドなどの治療を適切に受けても、

1/3が完治、1/3が後遺症を残し、1/3が症状の進行・悪化。

そういわれています。

私の場合は、3日以内に受診し適切な治療を受けたけど、

1/3として症状が固定し後遺症になり、

残念なことに、メニエールに進行してしまった例。

突発性難聴 - Wikipedia

メニエール病 - Wikipedia

 

とても稀なようだが、両側に発症したり、

聴覚のほとんどを失ってしまうことがある、困った病気である。

 

 

個人的には幸運だったんだと思う。

日常生活にはほぼ支障はない。

ただ、騒音が大きい場所。

看護師でよくあるのは申し送り時。

騒音や雑音で聞き取りたい音にノイズがかかり、必要な音が言葉に聞こえないことがよくある。

(音自体は聞こえることが多い)

口元が見えていれば音の抑揚や語調で、読唇も含めて補完することができるんだが、それが出来ないと非常に辛い。

マスクとか、口元見えないしね。

 

看護師には、ちょっと困った持病だ。たまに発作で立ち上がるのも苦労する。

もう、7年くらいの付き合いになるけど、なんていうか

困った体質だよねえって、割り切るしかないかね。

 

 

 

 

もしなっちゃっても、死ぬような病気じゃないなんて言われるけど、

慣れるまで、非常に辛い。

簡単なことを言ってくれるのは、大体無責任な人。

でもほら、幸い難聴ついてくるから、メニエール。

そんなのも一緒に聞こえないふりしてしまっても、良いんじゃない?なんて、これは毒かな?

 

 

 

 

ナイチンゲール誓詞の「わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを。」 「われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。」が嫌いなんです。

看護資格を有するもの、これを暗唱した覚えは、うっすらとでも記憶に残っているのではないでしょうか。

看護学校に入り、臨地実習に入る前に、戴帽式というものが行われます。

手にろうそくを持ちながら、ナースキャップを装着してもらい、ナイチンゲール像から、

自分のろうそくに火をもらい受ける。

整列し、これを読み上げる。

看護師になるという決意を胸に、暗唱し、魂に刻み込むような儀式。

それは美しくも、厳かで、静謐。

 

われはここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わんーーー

わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを。

われはすべて毒あるもの、害あるものを絶ち、

悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。

われはわが力の限りわが任務の標準を高くせんことを努むべし。

わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事のすべて、

わが知り得たる一家の内事のすべて、われは人に洩らさざるべし。

われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。

ナイチンゲール誓詞

 さて、これは実際にナイチンゲールさんが、看護師とはこうでなくっちゃ!

とか言いながら考えたものではありません。

 

ナイチンゲール誓詞[編集]

ナイチンゲール誓詞(Nightingale Pledge)は、1893年アメリカ合衆国ミシガンデトロイト市にあるハーパー病院(Harper Hospital)のファラン看護学校、校長リストラ・グレッター(Lystra Gretter)夫人を委員長とする委員会で、ナイチンゲールの偉業を讃え作成されたものである。

ナイチンゲールの看護に対する精神を基とし、医学に携わる看護師としての必要な考え方、心構えを示したものである。

医師にとっての「ヒポクラテスの誓い」にならって、看護師の戴帽式卒業式に、ナイチンゲール誓詞により誓いをたてる[1]

フローレンス・ナイチンゲール - Wikipedia

 

つまり、ナイチンゲールすっげえ‼‼ってなった、大人の方々が、こちらを作成したのです。

ついでに、これの元になっているのが、ヒポクラテスの誓い。

ヒポクラテスの誓い - Wikipedia

医の神アポロンアスクレーピオスヒギエイアパナケイア、及び全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う。

こっちは神様に誓っていますし、いまいち現在と時代背景が違うからか、しっくりこないとは思いますが。

 

 

 

んで、なぜ今これを持ってきたのかというと、

ナイチンゲール誓詞の一節の、

「わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを。」

「われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。」

 

ここです。

この二つ。

志もない若造がとりあえず持っていくべき心構えとして、これはあっていいとは思うけど、いかんせん重い印象を受ける。

二つ目なんて、自己犠牲を良しとしている。

それが正しいと、美しいと、彼らは言っている。

 

それを宣言した私たちは、本当に美しいのだろうか。

看護師が過労死して、追い込まれて自殺して、

そんなことの何が正しいのか。私にはわからない。

 

 

 

と、当時の戴帽式を思い返しながら、

確かに美しい儀式だけど、神様に誓っても、

じゃあ、看護師のカリキュラムに、自分を愛することを導入すべきではないか。

それがあって初めて看護師は看護師の最大の力を発揮することができるのに。やっと、人様の看護がきちんとできるようになるのに。

看護学校に限ったことではないのかもしれない。

基礎教育から、新人教育から、甘っちょろいかもしれないし、何を当然のこと言ってんだって思われるかもしれないけど。

それが欠落しているから、今みたいな自殺者が年々増える国になってしまったのではないか。

 

自己犠牲が美しいなんて、植え付けるから、

みてもらえない子は、やってみるんだって。

私なんかいなくても、そういって消えていこうとするんじゃないの?

 

看護師たるもの、自分を愛してこそ、人の看護ができると思ってください。

自分に余裕があって、健康で、そこでやっと初めて

正常な看護ができるんですから。

それだけは忘れないでください。

年表を書いてみたけれど、こんなもの意味を持つのだろうか。

どうなんでしょう。書いてみたはいいものの、非常に醜い出来になってしまった。

 

自己憐憫に浸っているかと言われれば、否定はできない。

でも、このブログの主旨としては、

適応障害

心身症

円形脱毛

自律神経失調症

看護師だけど疲れたの

白衣の天使なんていないわよ

看護師なんてこんなもん

 

っていう有象無象に困っちゃった方に、前例として少しでも役に立っていければいいなあっていう、願望? で作ろうと思いました。

 

看護師が求められるのは、比較的完璧な人間像。ナイチンゲール誓詞がその最たる例です。

それは私たちを縛る鎖です。願望ですし理想ですが、そうでないと務まらないわけではありません。

あなたにも、私にもお前は役立たずだと烙印を捺せる人間が看護師の中にどれだけいますか。

そんな烙印、捺させてなるものですか。

 

患者様でさえ、私はその評価をするのも違うんじゃないかと思います。

 

看護師であるからえらい、と言っているわけではありません。

人が避けたい事柄を、生業にしているのですから、その精神が素晴らしんじゃないのかって言いたいのです。

 

人の最期の看取り、排泄の介助、清潔の介助、薬剤や処置・検査の介助や実施。

数えたらきりがない。

 

学校のトイレ掃除みたいなものなのかもしれません。

誰も好き好んでやりたがらなかった記憶があります。

看護師も同じなのではないか。

 

その精神を、ストレスや環境、ハラスメントで、自死や過労死などで失うのは、国としての恥なのではないかとさえ思います。

 

マスコミもスキャンダル、好きだよね。それが病院だったら、きっととってもおいしいんじゃないの。

そうやって誰かを殺すこともあるって、わかっていますか?

そんなことよりも大事に守ることも出来ないのかな、今の日本のマスメディアは。

 

 

 

他人の不幸は蜜の味?

だったらここには、甘い蜜がたくさんあるよ。私を喰って、ようやくそれが毒だと知るがいい。

それは体をめぐり、あなたの心に巣食う。

私の、たくさんの同士の、名も知らぬどこかの誰かの、痛みとなって、あなたの心に巣食う。

 

じゃ、年表でも。

どうも、明里です。

 

私の生まれはどうだっていいので、高校卒業くらいから年表を書いてみます。

というか、年齢表?

 

17歳 高校卒業

18歳 看護専門学校 入学

20歳 看護専門学校 卒業

21歳 某国立系病院就職 神経難病病棟所属

   夏 突発性難聴(蝸牛性メニエール、感音性低音障害型難聴)発症。

   これはのちに、自律神経失調症メニエール病に移行していく。

   一週間のパルス療法。一時的に症状改善するも、

   すぐに症状が戻り固定していく

 

25歳 病棟改変のために異動。

   神経内科筋ジストロフィー、脳神経の混合病棟へ神経内科代表として異動する

 

  同年、1月

   髪が抜けだす、体調不良が相次ぐ。胸やけ、不眠、

   ストレスを過食で解消しようとする。

 

  同年、6月

    病棟師長に相談。あまり真剣に聞いてはもらえなかった様子。

    特に何か気を配ってもらうこともなく、

    症状はずっと持ったまま通常勤務をこなす。

    このころには、髪はかなり抜けてしまっていて、普通に地肌がのぞくため、

    看護師が帽子を被るわけにもいかず、ウィッグを装着。

    吐き気や胸やけが出てきて受診を繰り返すが原因が見つからない。

 

  同年、7月

    何度も病棟師長と面談を持つが結局何の解決にも至らず、

    今考えるととんでもない無駄だった。

    このころには胃カメラもMRもCTも、

    検査をいくつか受けたが異常は何一つ見つけることが出来なかった。

    ある総合内科の医師から、仕事を離れることも選択肢としてあるから、

    こんな状態は異常だからもっと大事にしていいと思うから! 

    と息巻いて言われた。

    そんな状態を母親と当時実家に居候していたTちゃんに勧められて、

    心療内科を受診した。

    診断名は「心身症を伴う適応障害」診断書には書かれなかったが

    うつ状態、という事だった。

    そこから休職が始まる。

 

  同年、9月 

    どれだけ休んでも、嘔吐は収まらず、面談の度に精神状態は最悪だった。

    異動という選択肢もあったのだろうが、考えるだけでこのどん底

    私にはその意思はなかった。

 

  同年、10月

    当時、完全な引きこもりとかしていた私は、

    ネットを介してできる仕事をいくつか手を出していた。

    大きな収入にはならなかったが、

    貧困極まっていたので生活の足しにはなっていた。

 

 年が明けて、2月?

    ぶっちゃけ、この辺は記憶がぼんやりとしている。

    どうにも、死んだようにゾンビ生活を送っていたので、曖昧になっている。

    そろそろバイトくらいなら初めてもいいかもしれませんね、

    と主治医から許しが出たので、コンビニでリハビリ開始する。

    声の出し方も忘れてしまっていることに気が付いた。

    焦る。

 

26歳 6月 私立系病院に再就職

   母が長年勤めている病院から声がかかっていたらしい。

   コンビニでリハビリを始めていたから、そろそろどうかと打診が来た。

   そもそも、看護師に戻る気なんて私にはなかった。

   患者に罵倒されながら、スタッフにつまはじきにあいながら、

   あんな思いをしながら人の看護をしなければならないと思うと、

   とんでもない嫌悪感だった。

  でも、その病院は地域に完全に根付き、大丈夫かと心配になるくらい

  ぬるくゆるい。前の病院と比べると、

  同じ病院という組織なのかと信じることができないくらい環境の違う場所だった。

  そこでなら、もう一度白衣を着てもいいのかもしれない。

 

28歳 6月 終末期病棟へ異動

 こんな時期になんで異動? 

 お慕いしている師長が困ってお願いしてくれていたから

 私も頑張って来ようと思って異動を受けた。

 今考えたら受けなきゃよかった。

 もっかい心身症になってこんなに不安定になるくらいだったら。

 でも師長さんは助かったんだろうから、それでいいか。

 

同年 9月15日 自宅療養のため 休職

 一週間やそこら休んだところで、改善するとは思いません。医師の勧めで休職。

 今回は10月末まで。この期間で、もっかい自分と向き合ってみることに。

 

 

んで、同年9/20 ブログ開設。

はじめまして明里です。と、相成りました。

 

 

 

 

 

 

 

こう見ると、同じ轍を踏んじゃってる感がある。

もういっそ看護じゃない仕事を探すか。今から資格取って、元看護師で売って。

 

そうそう。休職中にやってたネットを介したバイト。この紹介も今後していく予定です。

あとは、そうだなあ、思いついたらふやそうかな。

 

 

とりあえず、2017/9/21の現状を先に。

おはようございます。ちゃんと起きられました。

 

これから自分のことを遡っていくわけですが、

とりあえず、現在(2017/9/21)の状況を説明することにします。

年表とか、後で作んないとなあ。

 

看護師になって二つ目の病院で、今も看護師をしています。

この病院では3年目になるところだったんですけど、もっと頑張れると思っていましたが、現在休職という形で属しています。

 

6月の半ば、とっても中途半端な時期に「ここはオアシスかな?」と思うほど、中途採用、新規採用者が固定しやすい病棟から、終末期見送り専門のような病棟に異動になりました。

きっとそこが、私の転機。

 

以前、異動や環境の変化(後述しますがもう絶対経験したくないくらい劣悪と言っていいと思う)で、心身症適応障害、酷い円形脱毛症(円形どころではない)を発症していたこともあり、

自分にそういうメンタルおぼろ豆腐なところがあるのは、自覚していたつもりだった。でも、どうにもできず、馴染めず、仕事もうまくいかず。

前回と同じように、心身症と脱毛(前回と比較してかなり軽度。ありがたい)を再発。

 

もう病棟看護師には戻れないのかもしれない。そう思いながら休職期間を過ごしている、明里です。

 

看護師としての資格をせっかく取ったので、使いたい。でも、看護師の主要勤務先は病院です。その病院という、言い換えれば教室みたいな異様な環境が私には合わないのではないか。そんなことを言っていたら、どこにも所属することなどできないのではないか。なんだじゃあ、起業でもすればいいってのか? っていうのが、今私が考えている未来。

 

ちょっと捨て鉢。

それもまあ、しかたないのかなあって思ってはいる。

日本は、そういう国。私もそういう人間。

 

 

 

 

ここに、こんな文章を書いて、同じように困って傷ついちゃった、

本当に私の経験が必要になる人が来てくれるんだろうか。

ちょっと心配。

でもまあ、一人語りみたいな感じでやってみようと思う。

どうぞよろしくお願いします。